わたくしの座右の語録は 

「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」『御消息集』(広本)第7通

「自然法爾章」『末燈鈔5』

「臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心のさだまるとき、往生またさだまるなり。」『末燈鈔1』

「証知生死即涅槃」「不断煩悩得涅槃」『正信偈』

「平生のきざみ」『口伝鈔』14章 覚如上人

「清浄(しょうじょう)の心もさらになし」「こころは蛇蝎(じゃかつ)のごとくなり」愚禿悲嘆述懐和讃

「信心決定=入正定聚=弥勒便同=如来等同(とうどう)」

「よしあしの文字(もんじ)をも、しらぬひとはみな、まことのこころなりけるを、善悪(ぜんまく)の字しりがおは、おおそらごとのかたちなり」

「是非しらず邪正(じゃしょう)もわかぬ、このみなり、小慈小悲もなけれども、名利(みょうり)に人師(にんし)をこのむなり」正像末和讃

「光明寺の和尚の『般舟讃』には、「信心の人はその心すでに浄土に居す」と釈し給えり。居すというは、浄土に信心の人のこころ、つねにいたりという心なり。」『御消息集』(善性本)第5帖目

  

わたくしの独自の言葉は 

「自分自身でやってみる」

「自己の解決」

「常に聞法」

「いつ聞法されますか?」

「真に笑えますか?真に泣けますか?」

です。