『自己の解決』  --聞法とご信心の世界--

 一. わたしの聞法の経緯

(1)二十歳代のことです。ある日の午後、お寺の書院二階で仏教書を読んでいて、フッと窓の外を見たとき、如来とは、わたしに見える中庭の木や石の中間にあるもの、気体・空間・空気といったものだと気づき、ハッとした経験がありました。それは、どこかで読んだ本の一節の記憶のせいだったのかもしれません。如来とは色も形も臭いもないものだといいますから。しかし、そのことは二~三ヶ月は気になっていて、書店でも「空」とか「空気」とかの名がついた本をつい手に取って見たりしたものです。ある一冊などは、政治世界の空気のことが書いてあるような本で、がっかりした記憶があります。最初の、この気づきともいえない気づきは、それで終わりました。当然です。でも、当時は、如来を実感、体験したと思ったものでした。

そのころからです、法然上人、親鸞聖人のお言葉である「義なきを義とす」、つまり「無義」ということが気になりだしたのは。「無義」とは思慮分別のないこと、無義、無義、無義、と常に臆念し、思慮分別のないこと、思慮分別のないこと、と常に念じていました。脳裏に思い続けました。いつでもいつでも脳裏に焼き付けました。まるで阿呆のようにやっていました。そのような折、一九七九年、同朋大学の別科での授業でのことです。ある講師が『末灯鈔』の、「自然法爾の事」の中の「弥陀佛は自然のやうを知らせん料なり」を解説しているときに、その文言にショックを受けたのです。
驚きました。心に訴えるものがありました。
それ以後、「弥陀佛は自然のやうを知らせん料なり」は、わたしの聞法を導く重要な文言の一つになったのです。

さらに、三十歳代のことです。あるご門徒の家で、ある朝八時三〇分ごろ、月参りの読経中、二~三分間、本当になにも覚えていない時間があって、これが本物の心境なのかな、と思ったこともありました。しかし、これは単に体調が悪かっただけの事でした。それから時は流れました。四十歳代になって、今度は『口伝鈔』の「体失、不体失の往生の事」の「平生のきざみ」に心を奪われたのです。 
即得往生住不退転の道理を、善知識におうて、聞持する平生のきざみに治定するあいだ、この穢体亡失せずといえども、業事成弁すれば、体失せずして 往生す、云々
平生業生とはよく聞きますが「きざみ」です。刻みです。平生の、日常の刻みです。一刻一刻、一秒一秒、一瞬一瞬です。


   今を、永遠に生きることが肝要
   過去をいたずらに追うてはならぬ、未来をいたずらに待ってはならぬ


この法語カレンダー(真宗教団連合)の言葉の通りです。本当にそう感じました。「よし、やろう」と思いました。やってみよう。一瞬一瞬をあるがままに生きる生活を、毎日を、自分でやってみよう。自分自身でやるのだ、と強く決意しました。
この時に、聞法の方向が定まったように思います。


   すべて、ひとのはじめて、はからはざるなり。このゆゑに、
   他力には義なきを義とすと、しるべしとなり。


『自然法爾章』は、わたしの聞法を導く重要な文言でしたが、この「自然法爾の事」の「はじめて」とは、どういう意味合いなのかと、長く考えていました。わたしは、「はじめから・もともと」と理解したいと常々思っていましたが、たまたま書店で見つけた本願寺出版社発行の『浄土真宗聖典』の「親鸞聖人御消息一四」(七六八ページ)には、「はじめて」とは「あらためて。ことさらに。」と註がしてあったのです。なるほど、やはり聞法の要点は、「あらためて、ことさらに、はからわない」ということかと、深く納得がいったことです。わたしは、「すべて、ひとのはじめて、はからはざるなり。このゆゑに、他力には義なきを義とすと、しるべしとなり」を、「そのまま・あるがまま」と理解しました。


   わが心をはなれて、仏心もなく、仏心をはなれて、わが心もなきものなり


また、この『安心決定鈔』の最後の部分、これにも心打たれました。これも大切だと思いました。これらのお聖教に示唆をいただいて、それ以後、一瞬一瞬、「そのまま・あるがまま」を徹底的にやり始めたのです。人としての倫理道徳は心得てのことです。



(2)あるがままになる努力 「あるがままになろう。そのまま、そのまま」と自分に言い聞かせ、時の早さに負けないように集中して「これでいいんだ、これでいいんだ」と、なにものにも思いをとどめない状態の維持に一心に取り組んだのです。なにものにも思いを寄せず瞬時瞬時を切り落としていく努力、今に遅れない努力でした。真剣にやりました。朝起きたら、すぐにやりました。続けました。毎日やりました。いつでもどこでも、必ずやりました。朝、歯を磨いている時も、ひとりでテレビを見ている時も、トイレに入っている時も、繁華街でみんなとワイワイ酒を飲んでいる時も、本当に、いつでもどこでもです。
「寝ても醒めても」という言葉がありますが、今になって思えば、全くその通りだったのです。


   そのままと仰せらるるに、そのままになろうと、かかり、ひとり苦しむ


この法語カレンダー(真宗教団連合)の言葉にあるように、一人苦しみました。「あるがまま」と思っている、その脳の動きもそのままに、それが「あるがまま」なのだと徹底するには、随分と時間もかかり苦労もしたことです。まさに自分との取っ組み合いでした。とにかくやりました。徹底的にやりました。ホントに大変でした。脳味噌が混乱するのがよくわかりました。朝、起きて直後が、いちばん苦しかった。頭がどうにかなると思ったこともありました。

毎日、それこそ毎日やって三ケ月ほどたったある日、午前一〇時ごろ、名古屋から京都へ向かう新幹線「ひかり」の車中で、本も読まず座っている時です。「ものすごく早い今・そのまま・あるがまま」に目が潤んできたのです。流れるほど出ませんが、うれしさの涙でした。「うん、これでいい、これでいいのだ、これを続けよう」と、さらにはっきりしました。如来と一体とは、こういうことだな、と確信しました。でも、そんな心境も、ほんのひとときのことでした。それから二週間ほどして、やはり、あるご門徒の家で、一一時からの十七回忌の読経の時です。いつものように、「早い今・そのまま・あるがまま」を続けていました。読経しながら、また目が潤んできました。「そのまま・あるがまま」のうれしさでした。この時の感動も、やはり、ひとときのことにすぎませんでした。



(3)本当の落ち着き それから、さらに半月ぐらい経った時のことです。あまり気に留めるともなく「早い今・そのまま・あるがまま」をやり続けていた、ある日の午後、尾張旭市の、あるご門徒の家での読経の帰り、大森ICから東名阪に入り「楠」から名古屋高速を南下中のブルーバードを運転していた時です。いままでは色々のことに悩んでいても「そのまま・あるがまま」、どんな思いが出ても「そのまま・あるがまま」を続けていましたが、その運転中に、悩みのま只中にいるのに、悩みながら、そのままにしているのに、悩んでいないではありませんか。悩みながら、その悩みが苦でなくなっているのです。悩みながら、そのままにしていて、それが苦にならない。その事に驚きました。この時は涙も出ませんでした。その自分の様子・ありさまに「あれ、不思議だ」と驚いたのです。以前のわたくしの様子、仏法を尋ねて迷いに迷っていた以前のわたし、そのままの様子なのです。いままで苦労してきたのはなんだ、と思いました。これもまた例によって、ほんのひとときの事かと疑いましたので、それから三時間経って、自分でわざと悩みを作ってみました。苦になりません。二~三日経ってもそうです。朝起きてすぐでも、そうです。いつでもそうです。こういうような状態が続いていきました。

そうして、ある日の午前一〇時三〇分頃、やはり、あるご門徒の家での月参りの時のことです。ふいに「思い」が「思い」にコロッと入ったのです。抜け落ちた、とでもいいましょうか。もうどう転んでも大丈夫だ、となりました。もう、なにもしなくていい、道も求めなくていい、となりました。自力が捨てられるという事は、他力にこだわる心も捨てられるという事でした。求める心が一切なくなりました。「不可能がある」「納得できない事がある」「真にうなずける事がない」「わからない事がある」というところへ納まったのです。それで、いよいよこの事、「あるがまま・そのまま」を徹底しようと決まりました。

悩みがない時はいい。しかし、悩み苦しみの時には、以前はそれを避けようとしていました。でも今は、悩み苦しみそのものになれる。それに徹底できる。それに納まってしまうのです。心を切り替える必要などないのです。そんな毎日が送れるようになっていました。時は流れ、いつともなく、「もう、どう脳味噌が動いてもいい」「そのままがそのことである状態なのだ」と本当に落ち着くことができたのです。



(4)自己との格闘の終わり 結論です。「今を生きる」の「いま」は結局、わかりませんでした。フッと思った時は、もう「いま」ではありません。もう何万分の一秒が過ぎてしまっているのですから。つまり、「いま」は知識では捕らえられない、認識できないということです。「いま」とは、いま、このように「そのものになって」体感しているということです。身体が知っている。理解ではなく、体感なのです。「いま」という一瞬は、十八歳の時も、三十代も、四十代も、そして現在も、それはまったく変わらない事でありました。自力がなくなりました。他力がなくなりました。本当に、なにもしなくていいのです。信じる相手があるのでもなく、また、信じられるこちらがあるのでもないのです。自力も他力もありません。あるとか、ないとかではありません。生とか、死とかではありません。この事が絶対他力です。普通の、ただの普通の人になれました。すべてが当たり前のこと、なにも変わっていません。ヤッタと喜ぶまでもないのです。なにか特殊な心境になったのではないのですから。これが安心(あんしん)です。やはり、法語カレンダー(真宗教団連合)の言葉です。


   代償を求める、必要のないのが念仏者
   助けるのは如来の仕事です、助かるのは我われの仕事です
   生活のすべてが南無阿弥陀仏の中の出来事
   すべての日暮らしが南無阿弥陀仏である


安心(あんしん)を得てからは、ご門徒の家での勤行、「あなかしこあなかしこ、ナマンダブナマンダブ、ナマンダブ」の後、「ありがとうございました」と、自然と声が出たのには自分でもビックリし、それからは、お参りさせていただきましたら、必ず「ありがとうございました」を申しています。最近は、お参りの前にも「お参りさせていただきます」と申しています。

  二. 自己の解決

 (1)意識自体になる
 聞法によって救われる事を願っての、長い年月を経ての自己との闘いでしたが、問題のポイントは、悩みのもとである意識・認識・心の働きそのものにとらわれて、その意識・認識・心の働きの外に一歩として出られないということでした。つまり、心の働き自体が、心の働きの微妙で自在な活動に惑わされて、そこから少しも出られず、心の働き・認識・意識の中にあって、意識の内容だけを問題にし続けていたという事に気づいたのです。そこで、わたしは、意識の内容など問題とせず、「なにもしない」ことに集中しました。ずいぶん苦労しましたが、結論はこうです。こう決着しました。

・意識自体が意識自体である時に、意識自体が意識自体を知ることはできない。

・意識自体が意識自体を知ることが出来ない時、そこには意識自体はない。
 
 これが、わたしの自己の解決でした。どうしても通らねばならない通過点でした。平々凡々の底抜け阿呆のわたしに照らされた光明でした。「なにもしない」、いや「なにもしない」ことも忘れ、忘れたことも忘れ、いのちである光明そのものにすべてを任せるだけなのです。親鸞聖人のお言葉です。
  
  煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり
  生死即涅槃なりと証知せしむ
  煩悩菩提一味なり
  
 煩悩は煩悩のままで障りなし、光明は世界を照らし、ただ、ナマンダブ………。

 

(2)自然法爾章を味わう
 
 親鸞聖人の、世界に通ずる『自然法爾章』、これはわたしの聞法を導いてくれた重要な文言です。いまこれを、わたしなりに、あらためて味わってみたい。

1.みだ仏は、自然のようをしらせんりょうなり。
 阿弥陀さまは、ことさらになにもしない自然のありさまを知らせようとしている、そのためのほとけ様なのです。

2.この道理をこころえつるのちには、
 もとより、はじめから、そうなのです。あれこれは、いらないのです。
この事が心に納まったら、

3.この自然のことはつねにさたすべきにはあらざるなり。
 なにもしない自然のことを、いつも思いおこしてはいけないのです。もはやなんの思い煩いもいらないのです。どうしたらいいのだろうという思いに困っても、困った思いそのものになっていればいいのです。もし、困った心をなくそうとする気持ちになったら、やはり、その気持ちになっていればいいのです。そこにこそ「おのずからしからしむる」如実の働きが実現しているのです。

4.つねに自然をさたせば、義なきを義とすということは、なお義のあるべし。
 いつも自然の様子を思いおこすようでは、色々せんさくしなくてもよいと思いつつも、まだ自分への言い聞かせが残っているのです。徹底していないのです。まだ、本当は不安なのです。まだ、お任せしていないのです。自分自身、納得がいっていないのです。つまり、「義なきを義とす」と知って、義なきようにはからうのは、まだ義の立場なのです。自然の様子を忘れ、忘れたことも忘れて、ただ、やるべき事をやり、すべき事をする。人の和を願い約束を守り社会を考えて生活するのです。どんな思いが頭にわいてきても、その思いそのものになっていればいいのです。そのものになりきっていればいいのです。それでいいのです。

 

『自己の解決』は名古屋別院蓮如上人五百回御遠忌記念『蓮如上人再考』(名古屋教学第12号)

   2000年(平成12年)4月1日発行 編集発行 真宗尾張同学会 会長 浜田耕生 

〒460-0016 名古屋市中区橘2-8-55 真宗大谷派名古屋教務所内 電話052-331-2468

に発表したものを、そのまま公開したものです。